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藤原氏が『日本書紀』を“改ざん”していた!? 持統天皇をアマテラスに見立て、蘇我氏を悪者にしたという疑惑

日本史あやしい話

■なぜ、持統天皇はこれほど不比等に肩入れしたのか? 異母姉弟だった?

 

 この不比等の目覚ましい立身出世が、彼の実力に加え、持統天皇の引き立てによるものというのは、誰もが認めるところだろう。でも、なぜ持統天皇がこれほどまでに不比等に肩入れしたのか? それが問題なのだ。

 

 その一因と考えられるのが、この御仁の出生にまつわる秘密である。実は、不比等が天智天皇の御落胤だったと言われることがあるのだ。それが記されたのが、平安時代後期の歴史物語『大鏡』。

 

 そこに、天智天皇が妊娠中の女御(車持夫人)を鎌足に下げ渡したと記されている。その際、「生まれた子が男ならそなたの子とし、女だったら朕のものとする」と言ったとか。後に生まれたのが男だったため、鎌足の子として育てられたという。

 

 その真偽のほどは定かではないが、仮にそれが事実だとすれば、持統天皇は天智天皇の娘(母は蘇我遠智の娘)だから、2人は異母姉弟ということになる。持統天皇が不比等を重用した理由も、これで頷けるかもしれない。

 

■不比等の『日本書紀』改ざん説は本当か?

 

 そして、この御仁にまつわる疑惑がもう1つ。『日本書紀』改ざん疑惑である。つまり、不比等が、藤原氏の都合の良いように記録を改ざんしたとのお話だ。よく流布するところが、持統天皇の孫である軽皇子を天皇にするための下準備だったとの説だろう。

 

 持統天皇をアマテラスに、その孫である軽皇子をアマテラスの孫・ニニギに見立てて降臨させるというストーリー。これを不比等が作り上げたというのだ。軽皇子の即位が、さも必然のことであるかのように装ったわけだ。

 

 もちろん、これまた真偽のほどは定かではないが、不比等が『日本書紀』の編纂に関わって何がしかの手を加えた、つまり改ざんしたというのは間違いないことだろう。自らの出身母体である藤原氏を引き立てるために、そのライバルともいうべき蘇我氏を悪逆非道の氏族であったかのように仕立て上げたというのも、よく知られるところ。入鹿殺害に鎌足自身が手を下した、その正当性を強調しておく必要もあった。

 

 ただし、この不比等による『日本書紀』改ざん説も、あくまでも憶測に過ぎないということも頭に入れておくべきである。父である鎌足の華々しい活躍記事が思いのほか少ないことに加え、鎌足が仕えた天智天皇の事績よりも天武天皇の事績の方がはるかに多いというのも事実。このことから鑑みれば、改ざんが行われたとしても、さほど大規模なものではなかったと考えられるのだ。

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藤井勝彦ふじい かつひこ

1955年大阪生まれ。歴史紀行作家・写真家。『日本神話の迷宮』『日本神話の謎を歩く』(天夢人)、『邪馬台国』『三国志合戰事典』『図解三国志』『図解ダーティヒロイン』(新紀元社)、『神々が宿る絶景100』(宝島社)、『写真で見る三国志』『世界遺産 富士山を行く!』『世界の国ぐに ビジュアル事典』(メイツ出版)、『中国の世界遺産』(JTBパブリッシング)など、日本および中国の古代史関連等の書籍を多数出版している。

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